2018年12月1日土曜日

2018 劇団通信12月号

最近の小中学校では先生が生徒の名前を呼ぶ時に男の子に「君」(くん)と言ってはいけないそうで男の子にも「さん」づけで呼んでると聞いて驚いてしまいました。

なぜ ? と聞くと男と女を差別しないためだとか。
そんなバカな!! なぜ「くん」が差別になるのか理解に苦しみます。

私たちは幼い頃から男には「君」(くん)で呼ぶのが当たり前だったし、今でも私は男の子に限らず女の子にも平気で「くん」づけで劇団員を呼んでいます。もちろん稽古中は下の名前で呼び捨てにしていますが、呼び捨てにしたからと言って子ども達を見下している訳でもなく、逆に親しみの表現として受け取ることもできるのです。

言葉の使い方は状況によっても変化していくのは当然であって一律に「くん」を使ったら差別になるなんて一体誰がそんなこと決めたのか、教育委員会 ? 文部科学省 ? おかしな教育行政です。

だいたい男と女は持って生まれた役割が違うのは当然であって、それを男女平等という縛りの中で差別意識がなくなると言う安易な考え方はお粗末としか言いようがありません。男女平等というのは人間としての権利を言うのであって決して同等と言うことではないのです。

女の子が「いけねえ」とか「食えよ」なんて言ってるのを聞くと虫唾が走っていたたまれなくなります。なぜ女の子特有の可愛らしさや優しい言葉が使えないのか、言葉の乱れによって人間の品位がどんどん低下しているように思われてなりません。  





2018年11月1日木曜日

2018 劇団通信11月号

劇団も10月31日でちょうど25周年を迎えました。

稲城市で10人ほどでスタートした小さなグループが現在のような大所帯の劇団になるなんて思ってもいませんでした。「大きな夢」という名前にしたのもただ私が好きな言葉であったというだけで、将来に対しての具体的なビジョンなんて全くありませんでした。

しかし不思議なものでネーミングをしたことにおいて自分なりにその言葉の意義を考えるようになり、劇団として「大きな夢」を描くことはどういうことだろうとそのことがいつも頭から離れませんでした。

そして繰り返し繰り返し想念することによって「大きな夢」という言葉が次第に劇団のイメージを確立し次々と新しい展開が生まれてくるようになりました。

果たして現在のような姿が夢が実現した姿であるかどうかは別として、言葉の持つ力というものが人生を自在に操る魔法のようなものであるような気がしてなりません。

だから平素使う言葉が明るく建設的なものであれば運命もそれに伴ってどんどん好転していくものだと思いたいのです。

ところがその逆を行く人々がなんと多いことでしょう。
他人の欠点を暴きたて、愚痴を言ってマイナスの言葉を発し憂鬱な日々を送っている人たち。全て言葉の力で自らを不幸の底に追い込んでいることを知るべきでしょう。

一転して明るい言葉、讃える言葉、人を思いやる優しい言葉を発してみてはいかがでしょう。

お金のかからない人生必勝の方法かもしれません。  





2018年10月1日月曜日

2018 劇団通信10月号

「おはようございます、お疲れさま」は劇団では日常の挨拶として定着していますが、稽古の開始時には「おはようございます。よろしくお願いします」と皆んなで揃って大きな声で挨拶しても、それ以外の稽古場に入ってきた時や、廊下などでスレ違つた時に挨拶ができない子が結構います。

挨拶になれていないか、あるいは照れているのかもしれませんが、現場を担当する指導者も子ども達に挨拶の大切さを教えてほしいと思います。

挨拶ができないために人間関係がギクシャクすることがよくありますが、相手が挨拶しなくてもこちらから挨拶をすればいいのです。普通は挨拶を返してくるものです。

しかし何年も付き合っているスタッフさんで挨拶が苦手な人がいました。こちらから声をかけても一瞥する感じで反応がなく、仕事はきちっとやってくれているので我慢していましたが、先日終演後のバラシの時たまたまその人が片付けをしていた所を通りかかったので、「お疲れさま」と声をかけたら何の反応もなく知らん顔をされてしまいました。

ありえない態度にもうこんな人に仕事を依頼する必要はないと思ってしまいました。芸術家とか技術屋にはありがちなタイプですが、一匹狼で人の世話にはならないで生きている変人ならともかく、組織人として仕事を受けている立場であれば最低の礼儀をわきまえなければなりません。

逆の立場に立って考えればわかる筈だと思いながらもちょっと寂しくなった瞬間でした。 








2018年9月25日火曜日

2018 劇団通信9月号

劇団四季を創設し日本にミュージカルを定着させた第一人者の浅利慶太先生が亡くなりました。

現在の日本のミュージカル界は俳優を始め、舞台を支えるあらゆるスタッフが劇団四季の出身者か、または四季の流れを汲む人達であることを考えると、浅利先生の偉業はそびえ立っており、日本の演劇史上に燦然と輝く偉大な人物として君臨していました。

私も2年弱という短い期間でしたが四季の舞台に立たせてもらいました。四季に入るまでは四季のミュージカルを見たこともなかったし、自分のような役者がやるものではないという大いなる偏見を持っていました。

しかし四季に入って「オペラ座の怪人」を見て度肝を抜かれてしまいました。こんなすごい舞台があったのか、これまで知らなかったとはいえ自分の無知さ加減に打ちひしがれ、世界的にヒットしている最高のミューシカル作品が日本でも上演されていることの衝撃、あの時の驚きは今なお私の心に強く焼き付いています。そして入団したばかりの私がまさかその舞台に立つことになろうとは ! 
一気に私の人生が大きく転換してしまったのです。

のちに浅利先生の私に対する誤解が原因で私は四季を去ることになりましたが、今思えばあの時のあの事件があったからこそ「大きな夢」が誕生したことを考えると不思議な因縁と思わずにいはられません。

浅利先生のご逝去は少なからず私に複雑な思いを呼び起こしています。
先生のご冥福を心よりお祈り致します。 




2018 劇団通信8月号

昨今の演劇界やミュージカル界の華やかなこと、欧米並みに舞台が活気付き一般に浸透してきている現状はとてもいいことだと思います。

海外からの来日公演も珍しくなくなるほど頻繁になり、ブロードウェイやロンドンのウェストエンドで上演されているヒット作品を日本で観られる機会も増えてくるようになりました。また来日公演に限らず海外の作品がどんどん紹介され、劇団四季や東宝系の舞台では人気のロングラン公演が続いています。

しかしそれらの作品を誰でも気軽に観られる値段ではなく1万円を上回る入場料が当たり前のようになってきている現状を見て、制作費に莫大なお金がかかることは分かっていても割り切れないもどかしさを感じてしまいます。

オペラに至っては数万円は当たり前、金銭的に余程の余裕がない限り一般の人たちが家族ぐるみで観るなんてことはほとんど不可能に近いことです。特に俳優やあるいは音楽家として身を立てようとする若者たちにとって世界一流のものを直に観て刺激を受け、向上心を掻き立てられる折角のチャンスがあるのにも関わらず、経済の壁に阻まれ制限されてしまうのは残念でなりません。

俳優志望者はやることが沢山あってお金がかかります。ダンスや歌のレッスン料はバイトで捻出しその上に生活費も稼がなければならないので、とても高額な観劇料までは手が出せないのが現実です。

ハムレットではないが「これでいいのか、いけないのか、それが問題だ」





2018 劇団通信7月号

人の命は125歳までは生きられるという説に従えば、私は7月2日が誕生日だから残された人生はまだ49年もあることになります。

一体この先どのようになっていくのか、最近100歳の人が増えて来たからその辺りの感じは大体想像がつくものの、さらに25年先までを考えると手本になる人物がいないだけに宇宙人のような、或いは骨と皮しかないドンキホーテの馬のような感じが浮かんできてしまいます。

生きていても何の役にも立たなければ存在価値はゼロでしょうが、子ども達と一緒にまだ懲りずにミュージカルを創作しているとしたらギネスブックのトップを飾ることになるかもしれません。そんな楽しいことを想像していると私以外の人達はどうなっているのかと余計なことを考えてしまいます。

現在20歳代の劇団員が70代になっても役者を続けているのか、講師の先生たちは? 父母会のお母さんたちはとっくに後期高齢者になって100歳を超えてる人もいれば、100歳近くなってもまだまだ張り切って仕事している人もいるかもしれません。

そして125歳になった私を囲む老人会で夢コンの思い出話などができるでしょうか。入れ歯ガクガクさせ腰が曲がっている人や私を見ても誰なのか思い出せない人もいるでしょう。

そのような私だけが元気で周りの人の衰えだけをクローズアップして考えてみるエゴイスティックな楽しさ‼︎

そんなこと考えて楽しめるのも健康でいられるからで「わかさ生活」のサプリのお陰と感謝しています。



2018 劇団通信6月号

私は商売が下手だと以前からずっと言われ続けてきました。商売上手と言われるよりも私にとっては儲け主義ではない気持の表れのような気がして納得している面もありました。

25年前10人で劇団を始めた当初は会費が3,000円でしばらくはこの値段で続いていました。子どもたちが喜んでやってくれているのをみると採算を度外視してでもいいとボランティアのヒーローになったつもりでやっていました。

しかし劇団四季を辞めたばかりの50歳、生活のことを考えると青臭いことばかり言っていたのではやっていけません。長続きしないアルバイトを転々としながら食い繋いでいました。

劇団を始めて6年くらい経ってようやく曲がりなりにも私1人が劇団で生計を立てることができるようになりました。会費も5,000円から6,000円になり、やがて現在の金額になりました。それにしてもどうしてもっと思い切って値上げしないのか、業界関係者に言わせるとあまりにも安すぎると当初から言われていました。

公共施設を利用している団体の枠にも囚われ、また子ども達からお金をとることに何となく後ろめたさを感じている私の変な性格もあって「商売下手」というレッテルを貼られてしまいました。

しかし、現在のような組織が広がるともう私個人の問題ではなく、劇団スタツフの生活の安定を第一に考えなくてはなりません。

適正利益を生むことすらままならない現状を解消するための会費値上げを検討する時期に差しかかっています。








2018 劇団通信5月号

子どもたちがメジャーの舞台に憧れる気持ちも分からないでもありませんが、「大きな夢」はあくまでも情操教育の一環としてのミュージカル活動であり、プロの養成機関ではないとはっきり位置付けています。

もちろんプロとして通用するような実力のある子も育ってきていますが、あくまでも続けて行く中でさらに向上するように導いて行くことが大切で、子どもの時にメジャーの舞台に出たからといってすぐプロになれるような甘い世界ではありません。

しかし親子で勘違いしているケースが多く「大きな夢」でメインの役で褒められたりすると、すぐに外の世界でも通用すると勘違いしてやめていく例が結構多いのです。

他所ではほとんどが商業主義的で一般公募のオーディションをやって子どもを集めているに過ぎず子どもを育てようという環境ではありません。子どもの才能は一回や二回の舞台で発見できるものではなく、長い目で見て本質を見極め、様々な体験をしている中で発芽していくものです。

メジャーの舞台に出たからといってどうなるものでもなく、劇団にいてその後もしっかり力をつけていかなければ枯れてしまうだけなのです。

大人になって俳優の道に進みたいと思えば選択肢は限りなくありますが、子ども時代に培ったもの、努力し継続することの大切さ、その貴重な体験の上に立って将来を見極めなければ荒波に揉まれて消え去るだけです。

親の考えで子どもの成長が左右されることを考えると、親の愚かな判断で子どもの才能を摘み取ってしまう例が後を切らないのはとても情けなく残念でなりません。




2018 劇団通信4月号

今年の6月に「新ダンスの朝」を上演します。

ダンスの朝シリーズはかつて22歳だった若き乙女たち( 阿部奈音子、中沢千尋、霜島愛生 ) 三人のために私が書いた脚本で、彼女たちの成長に合わせて毎年書いていこうと思いながら四作で終わってしまった作品です。

初演の彼女たちはダンス力に秀でていてそれぞれのキャラクターを生かして面白楽しく、しかも思う存分踊るシーンがあって見応え充分の作品でした。今回上演するのはその第一作目のもので、多少手を加えたところもありますが、現在BDPの若手として活躍している三人をピックアップして臨むことにしました。

久々に過去の台本を開いて読んでみるとちょうど12年前の冬のオリンピックがあった年でした。「ダンスの朝」でも多少そのことに触れていて「なおこ」のセリフに「向こうの人はかっこいいよ。立ってるだけでも違う。テクニックでは引けを取らないけど、素材が違うのよ。プロポーションが ! ダンスやバレエは美を競うものでしょう。フィギュアスケートだってテクニックだけじゃ満足しない。見る人は更に美しさを求めるの」と言わせています。

確かに今年の冬のオリンピックで女子のフィギュアスケートで金メダルとったのは誰が見ても美しく可愛い15歳の女の子でした。

しかしミュージカルは大会と違って美を競うものでもないし、ダンス力や歌唱力を競うものでもありません。役柄の自然な動きや歌が作品の中でどのように表出できるか、役を生きることの方が大切で又難しいところでもあります。

「新ダンスの朝」の出演者はいろんな課題を抱えながらも役者として大きく成長してほしいと願わずにいられません。



2018 劇団通信3月号

京都大学で学生に最も人気のある講義をしている瀧本哲史客員教授が14歳に向けて書いた「ミライの授業」(講談社)とい本が出ています。

14歳に向けた「冒険の書」であり、大人たちが知るべき「教養の書」であると本の帯に書いてありますが、なるほど読んでみると全ての若者に、また親たちにもぜひ読んで欲しい内容なのです。「14歳のきみたちへ」と題して冒頭から切り込んできます。

『14歳のきみたちに、知っておいて欲しいことがある。きみたちは、未来に生きている。きみたちは未来の住人であり、大人たちは過去の住人なのだ。これは比喩 (たとえ話)ではなく、事実としてきみたちは、未来に生きている。その理由を、簡単に説明しよう。

14歳のきみたちは、21世紀に生まれた最初の世代だ。昭和の時代を知らないのはもちろんのこと、20世紀の空気にも触れていない。生まれた時には2000年代で、21世紀だけを生きてきた。一方、きみたちのお父さんやお母さんが中学生だった頃、21世紀という言葉は特別な輝きをもっていた。どんな輝きか?

 ひとことでいえば、21世紀は「未来そのもの」だった。人々は月や火星に宇宙旅行をして、自動車は空を飛び回り、人間そっくりのロボットと友だちのように暮らしている。誰もがそんな21世紀を想像していた。

きっと君たちにとっては笑い話でしかないだろう。月や火星に旅行するなんて遠い夢物語だし、自動車はいまだ黒いタイヤで地上を走り、ロボットと友だちになれるのはマンガの主人公くらいのものだ。

そう、残念ながら大人たちは、自分が夢見た21世紀を、実現できなかったのだ。
そして21世紀という言葉に触れるたび、大人たちは心の中でこう思う。

「こんなはずじゃなかった」と。』


2018年2月15日木曜日

2018 劇団通信1・2月号

書物によって人は学び、影響され、生き方の指針にもなります。

最近読んだ「サピエンス全史」上、下巻(ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳)はこれまでの私の考え方を大きく揺るがすような衝撃の一冊になりました。

先ず著者のとてつもなく幅広く深い知識、分析力や考え方に感心し、難しくて私にはついていけないような箇所も多々あったものの、「人類史の常識をくつがえす」と言われているようにあらゆるジャンルから切り込んできて、現代人の生き方はこのままでいいのかと鋭く迫られているような驚愕の本です。

読後改めて開くことも多く、確かめながら更に熟読したり、いつでも読み返せるように手元に置いておく貴重な一冊になりました。  例えば誰にもわかりやすく興味を引くベージがあります。

「豊かな現代社会では、毎日シャワーを浴びて衣服を着替えることが慣習となっている。だが、中世の農民たちは、何ヶ月にもわたって身体を洗わずに済ませていたし、衣服を着替えることもほとんどなかった。身体の芯まで汚れて悪臭の漂うそうした生活を想像するだけで、私たちは吐き気を催す。だが、彼らは気にも留めなかったらしい。長い間洗っていない衣服の感触や臭いに慣れていた。(中略) 考えてみれば、これは少しも不思議なことではない。何しろ私たちの類縁であるチンバンジーも滅多に身体を洗わず、決して服を着替えない。また私たちも、ペットの犬や猫が毎日シャワーを浴びず、毛皮を取り替えないからといって、嫌悪感を抱いたりはしない。それどころか、そうしたペットを撫でたり、抱きしめたりもすれば、彼らにキスしたりもする」

このような内容一つとっても色々感じることはあるのではないでしょうか。






2017 劇団通信12月号

「自前の劇場」を持ちたい。以前から描いていた夢がただ描いているだけで実現に向けて何も努力してこなかったことに今頃になって気がつきました。

ただ漠然と劇団に専用の劇場があったらどんなにいいだろうと考えていただけでしたが、それでも各地の「子どもミュージカル」が夏休みに上京して何日間か交代で上演できるような劇場があったらとか、「大きな夢」のレパートリー作品を毎日上演し、子どもたちがメインのミュージカル劇場として他に類を見ない活動ができたらとか、各地から上演のために集まってくる劇団員のための宿泊設備や、父母会の人たちが運営するレストランやカフェもあったらなど、私の中で夢だけは広がっておりました。

しかしそれはただの夢でしかなく実現に向けての具体案もなくいつの間にか時間が過ぎてしまっていました。そうだったのか! でもまだ私に与えられた時間は充分にある! 75歳になったとたん急に思い始めなんとか実現に向けて一歩でも踏み出そうと心の虫が騒ぎ始めました。

どうしたらいいのか、もちろん私一人では何もできない。劇団の父母会の中には色々知恵を貸してくださる方もきっといらっしゃるに違いない ! そうだ、みなさんの協力を仰ごう !  

矢も盾もたまらぬ高揚感が漲ってきました。スタート地点はゼロです。ここから一歩でも踏み出してみよう。一歩進んで見ればこれまで見えなかった新しい発見やアイディアが出てくるかもしれない。先ず劇団BDP専用劇場実現プロジェクトを作り、参加してくださる方を募ってみよう。最初は夢を語る仲間という感じで思い思いの意見を出し合っていただき、楽しい語らいの中から実現に向けてのアイディアとエナジーが生まれる可能性もあります。

誇大妄想と思われるかもしれませんが、劇団組織としての大きな誇大妄想がやがて専用劇場建設へと繋がっていくことを信じたいのです。




2017 劇団通信11月号

新百合子どもミュージカルの劇団員の植田温子は以前にも紹介しましたが今年の夏の高校野球東京大会の開会式で君が代を独唱しました。新聞にも写真入りで取り上げられましたが、その中に彼女は幼い頃から牛に向かって歌っていたという記事がありました。

実家が北海道の紋別で牧場を営んでいるので、10月8日の稲城KMの女満別大空町公演の後レンタカーで紋別の実家まで行って来ました。ご両親の案内で生まれたての子牛から分娩前の雌牛まで400頭の牛をじっくり見せてもらいました。成る程こんなにかわいい子牛の前で歌っていたのかと温子の幼少の頃を勝手に想像していましたが、ふと彼女は一体どうしてこんな紋別の片田舎から札幌の子どもミューシカルまで通っていたのかと不思議な気がしてきました。

植田温子は小4の時に札幌KMに入りましたが、紋別からバスで片道4時間かけて札幌まで毎週通い続けていました。従姉妹が札幌KMにいたので稽古前日の夜は泊まり、翌日稽古が終わるとまた4時間バスに揺られて帰るという並の人間にはできないことをやっていたのです。

小学生を一人で4時間かけて札幌まで行かせるご両親の寛容さにも脱帽ですが、更に中学を卒業して東京の国立音大付属高校に入学した彼女の一人暮らしを心配しながらも応援している親御さんの心意気にも感心してしまいました。

彼女は上京するとすぐに新百合KMに移籍し親代わりと称する父母会の方達の庇護のもとで勉学に励んでいます。日本の最果てに近い紋別で牛を相手に歌っていた少女が東京の神宮球場で15,000人の観衆が見守る中、君が代をアカペラで高らかに歌ったあの光景はいつまでも私の脳裏に焼き付いています。